我が師「塩田先生」番外編6
昨日の続き。先生のサラリーマン時代の話(先生も昔サラリーマンだった!)
大学院にいる頃、親族から「そろそろ正業について欲しい。」と言われた。恩師に相談したところ、その方がいいだろうと言われ、就職することにした。しかし、時期が悪かった。8月だったのである。半年間浪人したくなかったので、親族が経営している小松製作所に入社することになった。
そこでは、ルールブレイカーだった。IBMのコンピュータ(当時で、1億円を超える価格)の購入を、先生の一存で決めたそうである。稟議書という存在を知らなかったのである。上司がクレームを言ったら、「俺が評価して、これがいいと決めたのです。何が問題ですか」と返答。
また、出張する時は、出張費用は仮払いであった。それをおかしいと言い、机の上に金を積んで置いて、なくなったら金を積むのが合理的じゃないかと主張。(先生は出張先で多分金を使う必要があったのでしょう。)
ある日、会長から赤坂に来いと指示され、行ったところ、芸者さんが一杯。そこで、会長から、世界一のキャタビラーに対する戦略を問われた。慣れない芸者の前で、先生は、咄嗟にキャタビラー追随でばない独自の製品を出すという考えを説明した。気に入られ即やりなさいと言われた。(結局、実現しなかったそうであるが)
先生の上司はたまったものではない。ルールは無視するし、会長とネットワークをもっているしである。
そんな時、通産省から、NAS留学の話が舞い込んできた。通産省の窓口が、会長の息子さんで、先生のキャラ、能力、会社における実績を理解していたのである。先生にとって幸いなことに、NASAから、是非若い人をよこして欲しいと言われたのである。(従来は、大学の偉い先生が留学していたが、プライドのせいか、自分の考えを主張をし、学ぶ姿勢が不足と評価されていたのである)
会社は大賛成(ほっとしている?)ということで、先生はアメリカに向かい、大冒険が始まるのである。
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